2019.03.08
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「自分は役に立ち続けられるのだろうか」がん治療後の葛藤を胸に、それでも働く理由 【from talentbook】


インテージグループに入社し21年目を迎えた錫木圭一郎(2018年現在)。約5年に一度の異動や自身のがんの発覚など、さまざまな転機がありました。「転職を考えたこともある」と話す錫木。病気を経てもなお、働き続ける仕事への思いを語ります。

視野を広げた異色のキャリア。在籍20年で多様な業務に

僕が入社したのは1998年。社名が「社会調査研究所」だったころから在籍しています。学生時代に環境分野を専攻。環境事業を推進している当社に関心を持ったのがきっかけです。

2018年現在は株式会社インテージリサーチの公共サービス事業部ソーシャル事業推進部に所属しています。

これまで、本当にさまざまな仕事に携わってきました。希望どおり環境行政に携わる仕事を担当したり、リサーチャーとして大学の研究所に出向したり。のちに営業も担うようになりました。

「営業なんて絶対に無理」と入社当初は思っていたけど、営業マンが目の前でお客さまと接している姿を見ているうちに、その役割の重要性に気づかされました。

人と話すのは好きだし、今では営業の方が楽しいくらい。僕は関西人なので、笑いを取ってなんぼみたいなところもあって。お客さまが笑ってくれなかったら、その日は反省会です(笑)。

入社10年目には、経営企画部に異動しました。実はこのころ、転職を考えていたんですよ。当時は「転職するなら35歳まで」という考え方があって、僕はちょうど35歳でした。

仕事は面白いけれど、10年働いて新しいことにチャレンジしたい気持ちが芽生えていたし、長男なので実家を継ぐかっていう問題も浮上していました。

そんなタイミングでの異動の話だったので、振り返れば、このまま東京で暮らしていくと決断したという意味でも、大きなターニングポイントでした。

経営企画部では主に広報を担当。4年後に元の部署に戻って、入社当時に近い仕事にまた携わるようになったところ、経営企画部での経験がいきることに。

この部署が外部への情報発信の強化をはじめた時期とこの異動が重なったので、広報の視点や経験が今の業務のプラスになっているんです。

ひとつの職種を極め、同じ部署で活躍する社員が多いなかで、部署を転々と異動してきた僕のキャリアは異色。でも、多岐にわたる仕事を通じて視野が広がったのは、よかったなと思っています。

がんが発覚。職場の配慮はうれしい一方、元の状態に戻れない悔しさも



こうしたさまざまな転機のなかで最も大きかったのは、がんが2016年に見つかったこと。当時43歳でした。

健康診断後に呼び出されて、左の腎臓に腫瘤(しゅりゅう)があると言われたんですよ。「お酒の飲み過ぎで数値が悪かったかな?」くらいに思っていたので、もうびっくりです。

再検査の結果、急遽1カ月後の12月初旬に左腎を摘出することになりました。でも、年末は仕事が忙しい時期だし、出張の予定も山盛りで。どうにか業務を調整したものの、一緒に働いていた人たちには、かなりの負荷をかけてしまいました。

腎臓を摘出して細胞検査を行なった結果は、やっぱりがん。ただ、すでに摘出していたし、当時10歳と7歳だった子どものことは気がかりだったけど、あまり悲壮感はなかったんです。

実は普段から、死というものについてよく考えていました。たとえば、駅のホームで「もし今背中を押されたら、もう子どもには会えないんだな」とか。だから、がんの診断も仕方ないというか、「こうきたか」っていう気持ちが強かったですね。

それに、とにかく業務を調整するのにバタバタで、そこまで深刻に考える暇もなかったんですよ。そういう意味では、忙しさに救われたところもありました。

手術後に全身麻酔から目覚めたら、心配した上司から連絡があってうれしかったんですが、同時に「仕事フォローしなきゃ」って。酸素マスクを着けているし、「どうしよう」っていう(笑)。

部署の人たちは普段どおりの接し方だったので、退院して自宅療養後、2月に在宅勤務をはじめたころには連絡がガンガンくるんです(笑)。だから、「もう仕事できないかも」「休んでいるあいだに自分の仕事がなくなるかも」といった不安は、ほとんどありませんでした。

ただ、体制の見直しや異動が検討される年度末になると、「これから僕はどうなるんだろう」と考えるようになりました。これまでだったら簡単な仕事も、全然楽勝じゃない。

でも、仕事を休んだことを負い目に感じて、頑張りたくなっちゃうんですよ。一方で、「こんな状態で働けるんだろうか」という思いもありました。

いざ復帰したら、部署の人たちはたくさんサポートしてくれました。「お互いさまだよね」という雰囲気で。これは本当に助かったし、とても感謝しています。

でも、葛藤もありました。「営業はできないよね」「出張は無理だよね」という配慮を、必ずしも僕が望んでいるわけではなかったので。

自分のなかでもせめぎ合いがあって、「これはできるはず」と思う一方、ブランクのせいか手術のせいか、なんとなく頭の明晰度が下がっている感覚が。職場の配慮はうれしいものの、自分自身には元の状態に戻れない悔しさがありました。

「自分は役に立ち続けられるのだろうか」経過観察があるからこその葛藤



2018年になり、体は手術前の状態にほとんど戻りました。でも、手術後しばらくは、傷口は痛いし、体力は落ちるし、できることが減ってしまっていたんですよ。だから、日常をひとつずつ積み重ねることからはじめました。

自転車に乗る、子どもの野球の練習に一緒に行く、会社に毎日通う、営業に行く……。そうやって、「あれもできるな」「これもできるぞ」と取り組んでいくうちに、気付けば手術前よりハードな生活になってしまいました。

もうみんな、僕の病気のことは忘れたみたいです。

とはいえ、腎臓がんは転移の可能性があるとされていて、10〜15年間は経過の観察が必要。手術直後は「しっかり検査したから大丈夫」だって思えたけど、手術から2年が経った今、逆に不安は大きくなりつつあります。

だからこそ、「自分は役に立ち続けられるのだろうか」ということを、ずっと考えています。

自分に何かあったときに業務を引き継げるようにしたいと思う一方で、「ほかの人ならもっと効率的、効果的にできるかもしれない仕事に、僕が携わる意義はあるのだろうか」と考えることも。

今は自分が担当したい案件をひとりで完結するのではなく、「一緒にやろうよ」と同僚を巻き込むようにしています。そのような方向性で進めるのがよさそうかな、と。

周りに迷惑をかけてしまうことがあったとしても、自分がやるべきことをした結果なのであれば、悩み続けても仕方ありません。

先のことがわからない以上、「迷惑をかけたら嫌われちゃうかな」と気にして、周りの人と距離を置くのも違うと思いますしね。まだまだ葛藤はあるけど、最近はだいぶ開き直ってきました。

20年間も働き続けているのは、やっぱり仕事が面白いから



2017年は思うように働けなかった分、2018年は頑張り過ぎてしまいました。期待してほしい自分がいて、これまでの会社員生活のなかでも一番しんどい一年だったと思います。

2017年はセーブして働いて、2018年は体力の限界に挑戦して、2019年はちょうど良いバランスが取れるんじゃないかなという気がしています。

僕が今も仕事を続けられている理由としては、やっぱりインテージの組織風土が大きいと思うんです。

在宅勤務やフレックス勤務などの制度が当たり前にあることはもちろん、僕のような何かしらの事情を抱えた同僚を受け入れる土壌が、社員にあるように思います。

特に僕の部署は、子育てや介護、健康などに関する社会的な課題の解決を支援していますから。

自分自身は仕事を続けられるか不安に思ったことがあったけど、会社から「辞めろ」と言われたことも、そんな雰囲気を感じ取ったことも、1ミリもありませんでした。

でも実は復帰後しばらくした時期に、これからどうしようと転職を考えたこともあったんです。結局辞めなかったのは、やっぱり仕事が面白いから。

さまざまなお客さまがいて、扱うテーマも多いし。苦手なこともありますが、バラエティーに富んだ仕事ができます。

もともと「知りたがり」なので、仕事を通じて幅広い分野を深く知ることができるのは、僕にとってすごく楽しいんです。調査や統計を行なう仕事柄、子どもに社会科の教科書のグラフの見方を教えることがあります。

また、子どもの野球チームのコーチでもあるので、試合スコアを全部データ化して、集計なんかも。自分の生活と仕事がつながっているのも面白いですね。

僕は多分、こういう仕事がすごく好きなんでしょうね。だから20年間も続けているんだと思います。

家族からは、もう少し仕事の優先順位を下げてほしいと言われることもありますが、僕自身は20年経ってようやく、会社(社会)に貢献できるようになったと思えています。

意義のある、やるべき仕事だと思っていますし、自分が役に立てるのなら、ずっと続けていきたいですね。


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(所属・役職は取材時のものです)

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カテゴリ:働き方