「デフフットサルワールドカップ2023」レポート~デフフットサルアスリート・折橋正紀

笑顔の折橋正紀

こんにちは、インテージヘルスケア所属のデフフットサルアスリート・折橋正紀です。

「第5回世界ろう者フットサル選手権(デフフットサルW杯)」が11月9~18日、ブラジルのサン・ジョゼ・ドス・カンポスで行われました。私にとっては、3回目のW杯になります。

初めて日本がW杯に出場し、私も出場するも何もできずに終わった2011年大会。
チームで世界一を目標に掲げ、さまざまな取り組みを始めて4年間積み重ねるも、世界の壁に跳ね返された2019年大会。
フットサル元日本代表の藤井健太監督、石渡良太コーチの下でフットサルを一から学び直し積み上げて迎えた今大会。

正直なところ、成田空港に行くまで緊張感があまりなく、荷造りを前日に始めるくらいでした。今大会を迎えるまでにチーム内外でさまざまな壁があったこと、アジア予選(第4回アジア太平洋ろう者フットサル選手権大会)で今までにないくらい苦しんだことからフワフワした感じもなければ、やってやるぞという意気込みもありませんでした。

それが良いのか悪いのかは分かりませんが、少々の不安はありつつも自然体で地に足をしっかりつけて大会を迎えられているという感覚でした。

開催地ブラジルまでは長い旅

乗り継ぎした中東カタールのドーハ空港
乗り継ぎした中東カタールのドーハ空港

ブラジルまでの空路は、乗り継ぎ地であるカタールのドーハまで約10時間、ドーハで数時間待ったあとブラジルまで約15時間と今までで一番ハードな移動でした。大会よりも移動の方がキツいくらいでした。

現地は郊外の街並みが広がっている感じで、気候も温暖ではありましたが、大会期間中は最高気温38度と熱波注意報が出るほどの猛暑日が続きました。大会が終わった途端、最高気温が30度を切るほど涼しくなり、天気も大会を盛り上げてくれたように感じました。

ホテル周辺の街並み
ホテル周辺の街並み

全勝でグループリーグを突破!

大会はまずグループリーグ(GL)が行われて、上位2カ国が決勝トーナメント(ベスト8)進出というレギュレーションでした。
日本はブルガリア、タイ、アルゼンチンと同組になりました。

ブルガリア戦は、初戦であること、相手がやりづらい守り方をしてきたこともあり、なかなか攻めきれない展開が続きました。前半終了間際に得たフリーキック(FK)が作戦どおりできず、動揺が出たところを突かれて失点を許してしまいます。一番嫌な点の失い方でしたが、監督から「想定の範囲内」という言葉をもらい後半を迎えました。
後半も攻めますが、なかなか得点できず時間だけが過ぎていきます。残り5分を切ったところで同点に追いつき、その勢いで逆転、3-1で勝利することができました。

参加国の選手や関係者が集まった開会式
参加国の選手や関係者が集まった開会式

続いてのタイ戦は前半のうちに2-0になり、前半終了前からタイがパワープレー※1を仕掛けてきてそれにひたすら耐えるという展開でした。
約25分のパワープレーを耐えるというのは、メンタル的にもとてもしんどい時間でした(ほとんどの試合で行われるのは5~10分)。そのパワープレーで1点返されるも、日本も1点決めることができ、3-1で勝利。
この時点でGL突破が決定し、史上初のベスト8進出となりました!

GL最終戦のアルゼンチン戦は、GL突破の順位(1位か2位)が決まる大事な試合でした。日本は決勝トーナメントでの対戦相手を想定して1位突破を狙いにいきつつ、私はベンチ、もう1人のキーパーが先発しました。
しかし、どこか気持ちがフワフワしていたのか試合の入りが良くなく、アルゼンチンの気迫に押されて1-4でハーフタイムを迎えます。アルゼンチンは「この試合に勝たないとGLを突破できない」という状況であったため、すさまじい気迫でした。

この状況でも下を向く選手はなく、監督のげきもあり、しっかり気持ちを切り替えて後半を迎えました。私も後半から出場し、とにかく無失点に抑えること、チームに勢いを与えることしか考えていませんでした。後半の早い時間帯で1点を返上。その直後にペナルティーキック(PK)を与えながらも止められたことで、チームに勢いが付き、5−4で大逆転勝利を挙げました!

この3試合、さまざまな試合展開でしたが、しっかり勝ち切れたことでチームも自分自身も自信がつきました。私も自分の役目をしっかり果たせていることがうれしかったです。何よりアジア予選でとても苦しんだ経験、メンタル面での成長をすごく実感しました。

準々決勝前にオフが2日間あり、各自有意義に過ごしました。現地の関係者つながりで、議員秘書をされている日系人の方らに日本食店を案内してもらうなど、おもてなしを受けました。

※1
自陣のゴールを空け、キーパーが上がることで5対4の状況をつくり、ボールを保持しながら攻める捨て身の戦法。得点率は高いがリスクも高い

いよいよ決勝リーグへ

そして、準々決勝の対戦国は前大会準優勝のスイス。ここからは一発勝負、私たちにとって未知の領域です。

それでも私たちは必要以上に緊張することなく、地に足をしっかりつけて戦うことができました。試合開始1分半できれいなかたちで先制したことで、長い時間がまん強く戦う展開でした。いくつかのピンチがあり、日本も得点を決めることができず、1-0の時間が続きます。

そして後半残り7分、絶体絶命のピンチを迎えます。味方がボールを取られ、カウンターでキーパーと相手2人という状況です。ここで同点を許してしまえば相手を大きく勢い付かせ、日本の精神的なダメージも大きくなるだろう、「勝敗の一つの分岐点」だったと思います。そんなピンチを止めたことで逆に日本に勢い、スイスに精神的ダメージを与えることができたと思います。その後、追加点を挙げて3-0で勝つことができました。
私自身にとっても「世界大会初の完封勝利」という記念すべき試合になりました。

準決勝以降の試合会場
準決勝以降の試合会場

1日のオフを経て迎えた準決勝。相手は前大会4位、今大会ヨーロッパ予選3位のスウェーデン。ほとんどの選手の身長が180センチ超と、大柄で強く速い選手ばかりでした。
ここにきて大会で一番の重圧を感じました。決勝進出がかかる試合、メダル獲得目前ということもあり、やはり今までとは違うものを感じました。相手もこれまでの対戦相手より一段階も二段階も強く、前半で0-3になってしまいます。
最後まであきらめずに戦いましたが、ゴールを取ることはできず0-5で負けてしまいました。

世界一を目の前にして夢がついえてしまい、とてもとても悔しく悲しかったです。「たられば」を言っても時間が戻るわけでも、試合結果が変わるわけでもありません。シンプルに私たちの力不足でした。

ですが、3位決定戦が翌日に控えており、すぐに気持ちを切り替えなければなりません。頭ではわかっているのですが、そんなにスムーズにできるものではなく、難しい時間でした。
それでも、やらなければいけないことは一人ひとりが理解しており、翌日のホテル出発までには全員がしっかり気持ちを切り替えられていました。

銅メダル獲得、そして「男子最優秀ゴールキーパー賞」受賞!

3位決定戦の相手はGLで戦ったタイでした。
GLでは勝利したものの、簡単に勝たせてくれる相手ではありません。タイは2015年大会で準優勝した強豪であり、選手は世代交代中のようですが、追い込まれた時の底力はすごいものがあります。

それでも私たちはここまで積み上げてきたもの、成長してきたもの、それぞれの想いを背負っています。みんなのために、各々の大切な人のために、日本のために、そして自分のために。

拮抗した試合展開の中、前半残り5分でセットプレーから待望の先制点を挙げます。後半も早い時間帯で追加点を挙げ2-0になったところで相手はパワープレーを仕掛けてきました。1点返され、1点返し、また1点返され、3-2でとても緊迫した状況が続きました。同点に追いつかれてもおかしくないほどのピンチをいくつか迎えますが、みんなで体を張り失点を許しませんでした。
こうして終了を迎え、3-2で銅メダルを獲得することができました!

銅メダルと「男子最優秀ゴールキーパー賞」の盾
銅メダルと「男子最優秀ゴールキーパー賞」の盾

世界一という目標は果たせませんでしたが、最低限のメダル獲得、何よりも最後の試合を勝って終われたことがとても良かったです。

<大会結果>
●男子:銅メダル、フェアプレー賞
●女子:金メダル、フェアプレー賞
●個人:女子最優秀監督賞、男子最優秀ゴールキーパー賞

銅メダルだけでなく、個人として「最優秀ゴールキーパー賞」というすばらしい賞をいただくことができました。
発表の瞬間、まさか自分が受賞できると思っていませんでしたし、自分のパフォーマンスが世界的に評価されたという事実を受け入れるのに時間がかかってしまいました。

サッカーのゴールキーパー経験がなく、フットサルでゴールキーパーに転向した頃は素人同然で、とても日本代表を目指せるようなレベルではありませんでした。当然、所属チームの中では多くの叱咤を受け、代表候補合宿でもたくさん怒られてきました。もしかすると候補選手の中で一番怒られてきたかもしれません。

ましてや身体能力が高いわけでも特別なセンスがあったわけでもありません。悔しい想い、惨めな想いをたくさんしてきましたが、それでも諦めずに食らいついていきました。
その中でけがもしましたし、キーパーにとっては致命的な網膜剥離で手術も経験しました。そのようなさまざまなことがあったうえでの最優秀ゴールキーパー賞受賞だったのでとても感慨深く、自分がこれまでがんばってきたことが間違っていなかったと分かり、なんとも言えない気持ちでした。

最後に、今回のW杯はチームにとっても個人にとっても、新しい景色を見て新しい歴史をつくることができた大会となりました。また、さまざまなつながりで現地の方々に応援やおもてなしを受け、人のご縁、温かさを感じることもできました。
皆さんに良い報告ができたことをうれしく思います。たくさんの応援ありがとうございました!

今後は来年3月、「第20回冬季デフリンピック」(2024年3月2~12日トルコで開催)に出場※2を予定しています。今大会の結果のみで終わらないようがんばっていきますので、引き続き応援よろしくお願いいたします!

※2
デフリンピックの競技にフットサルが加わるのは初

ホテルで食べたブラジル料理
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